1971年のシャーリー・エブド

1971年に昭和天皇が欧州巡幸を行った時の現地の反応で、フランスについての
様子の報告の中に「シャーリー・へブド」が出てくる。

フランスのジャーナリズムが天皇ヒロヒトについて寄せる解説も報道も、ひややかと
いえばひややかな客観性を一歩も出ることはないように見えた。唯一の例外は、サン・
ミッシェルやサン・ジェルマンなどの学生たちの多い街の新聞売り場で人気のある
アナーキスト系の風刺新聞『シャーリー・へブド』であった。それは、ヒロヒト来仏の
週の第一ページを「ようこそ戦争犯罪人!」という表題のもとに、ポンピドーらしい
人物とヒロヒトらしい人物が握手している漫画で一杯にうずめ、ポンピドーの口から
≪Vous vous en etes bien tire≫−よく助かられましたな、という言葉を語らせていた。
そして画の上方には、ヒットラームッソリーニヒロヒトの名を並べて、前二者の名を
×点で消去し、ヒロヒトの名だけを残していた・・・・・。

平井啓之「現天皇と民族の倫理」初出:わだつみの声第53号1972年4月刊
     ある戦後(筑摩書房)1983年12月

・この平井の本は、宮中歌会始めの天皇の解釈をめぐる「天皇御歌論争始末気」や
平井助教授の駒場での語学授業中にチューインガムをかんでいた学生が後の
宇能鴻一郎であることを書いた「チューインガム奇譚」を収め、学徒出陣して
68年大学紛争後辞職したフランス文学者の重さといい意味での軽さが混じった
好著である。

  

平井啓之『天皇御歌論争始末記」

平井啓之が1960年に東大新聞に書いた文章が巻き起こした経緯と
その後について、「ある戦後」(1983年、筑摩書房)を出版した
時にまとめた文章。天皇歌会始めの際の歌について、平井が
違和感を感じたことを東大新聞に寄稿し、それについて学生や
文学者、評論家が反応した経緯をまとめている。
 この事件?に、触れた文章を探していたら、以下がみつかった。
全体像はこのブログだけでは掴みにくいが、それよりも驚いたのは
内田樹天皇についての文章だった。
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/20160216/1455602052
 「今上天皇は政治とはっきり一線を画した立場にあり、その点では
明治天皇以来の「近代天皇制」から離れて、古代以来の天皇の立ち位置に
戻っていると思います。
 天皇の本務はもともとすぐれて宗教的なものです。天皇の最優先の
仕事は祖霊の鎮魂と庶民の生活の安寧のために祈願することだからです。
草木国土のすべてに祝福を贈り続けることを専一的にその職務とする
「霊的なセンター」がなければ共同体は成り立ちません。そのことを
今上天皇はよく理解されていると思います。その点では「ローマ法王」に
似た存在なのかも知れない。」

確かに最近さかんに猫猫先生が批判しているように、内田の天皇観と
いうのはリベラルどころか、平井のような学徒出陣世代からみれば
日本の天皇の歴史と現在の地位もわきまえないトンデモ論である。
こういう人にエマニュエル・レヴィナスが読めるとは到底思えないのである。

コレージュ・ド・フランスのマレーネ・ディートリッヒ

フーコーその人その思想 ポール・ヴェーヌ Ⅸサムライの思想 筑摩書房2010 P245 注2

ジャン=ピエール・ヴェルナンの講義にマレーネ・ディートリッヒが出席し、最前列に
足を組んで座っていたことがあった。

フーコーが講義を続けていた会場にはスターリンの元秘書も出席した、とか
満員の中で美しくてすらりとした若い役者が講壇のすぐ近くで寝そべって顎をついて聞いていたが、
「彼のその姿勢は、彼らがともに良き党派に属しているということによって許されて
いたのである。」とあり、この後に上記注がある。
 

ウイットゲンシュタインと音楽

野家啓一ウィットゲンシュタインと自殺」KAWADE道の手帳
(初出「大航海」1999年12月号)

 この時期、ウィットゲンシュタインは教員になるためにクラリネットを習い
始めている。あるいはこの「音楽療法」が彼に自殺の誘惑を断ち切らさせた
のかもしれない。それというのも、スタイナーが「ウィトゲンシュタインは、
ブラームスの『弦楽氏重奏第三番』の緩余楽章が彼を一度ならず自殺の淵から
引き戻したと書いているが、これはいささか大胆な推理を働かせたものと言える
だろう」(『G.スタイナー自伝』)と延べ、音楽のもつ「超ー物理的(メター
フィジカル)』な性格に言及しているからである。

ウィトゲンシュタインのどこでの発言か、いまのところ不明。
フラームスのこの曲の第二楽章Andanteヘ長調)を聞いてみたが、特にこの
憂愁に満ちた哲学者をこの世に引き戻す力に満ちたものとも思えなかった。
スタイナーが「いささか大胆な推理を働かせたもの」といっているのはこの
曲の性格を鑑みていっているのか、そこも曖昧である。
ブラームス室内楽でもさらにぞっとさせるような曲は他にいくらでもあるのに
何故ウィトゲンシュタイはこの曲にこだわったのだろうか。

シュヴァイツアーと丸山真男

「二つの青年層その他ー丸山真男氏を囲んで」
1948年4月「青年文化」1948年3月号(丸山真男話文集続3)
シュヴァイツァーという人がいますね。アフリカの土人の中へ
はいって行って、一緒に暮らし、彼らの生活の改善に一生を投じて
いる人ですが、あの人の「わが生活と思想より」を見ると、自分は
すこしもいい事をやっているとは思わない。自分がこういうことをやって
いるのは、単に白人が数世紀の間置かしてきた罪悪を償っているに
すぎないといっている。こういう意識です。つまり自分のやっている
ことに、寸刻もあぐらをかかないということ、これはむろんシュバイツァー
の場合はキリスト教の倫理と関係しているのですが、それはともかく、
こういう考え方があるからこそ、絶えず外に対して働きかけざるを得ない。
自分の悪を克服するために、外に対して働きかけざるを得ないと
いう衝動が生まれてくる。ところが日本、あるいは東洋の場合には、これが
しばしば外部に対する働きかけが、自己満足と結びついている。それに
よって何か自分が満足されるという意識、こういう意識によりかかっていると
いうこと、そういう点に問題がある。これはしかし単に西洋はこうだ、東洋は
こうだという問題でなく、東洋の中でも、必ずしもキリスト教と結びつかないで、
そういう考え方が目ざめつつあるのじゃないかと思うのです。

 丸山の思いとは別にシュヴァイツァーが「絶えず外に対して働きかけざる
を得ない」態度で現地人に接していたかというとそうではない、というのが
歴史的事実であったようであり、日本や東洋とはかかわらずとも彼の「自己満足」
に結びついていただけではないか、という厳しい見方もある。丸山が触れている
シュヴァイツァーキリスト教もその植民地主義をささえていた負の歴史が
そこに見られるのではないか、と現時点での批判がありえる。

細谷雄一先生の誤植

 さて、安保法案推進のための政府の委員会でもご活躍の細谷
雄一慶応大学教授である。7月14日の安倍戦後70年談話の
発表の翌日の朝日新聞には、これで国民も安倍首相の平和への
思いが理解できて、安保法制の賛成派も増えるだろうという
インタビューが載っておりました。
 問題の懇談会でどのような発表をされたのか、幸い首相官邸
HPにその際配布されたレジュメが掲載されております。
 中味は和解を解く内容で、いつものご主張の柱とは必ずしも
沿っていない気もしましたが、それはそれとして「ちくま新書
または「筑摩書店」を「ちくま書店」としたり、おかしな
変換ミスが残っていたり、官邸の優秀な官僚たちも気付か
なかったのでしょうか。
 この辺も日本国があやしくなりつつあるという一面では
ないでしょうか。