加藤周一の養女

http://de.wikipedia.org/wiki/Sonja_Kato-Mailath-Pokorny
 この1972年1月ウィーン生まれの女性は以下のソーニャ・カトー氏
だろうか。鷲巣氏もここまで書いたのであれば、現在のカトー氏の
情報を、今後誰かによって書かれるべき加藤周一伝への手助けとして
多少なりとも付け加えてもらいたかった。

ヒルダは加藤との暮らしを続けたいと考えたのだろう。
「子はかすがい」、そのために子供をもつことを強く望んだ。
そして「ヴィーンの孤児院から、まだ1歳にも満たないひとりの
女の子を家族として迎えたのです」(本村久子氏談)そして、
その子を「ソーニャ」と名付けた。養子縁組を届けたのは
1972年11月のことだった。養女に迎える話は少なくとも数ヶ月前
には進んでいたに違いない。」(p74)
「ソーニャと一緒のときの加藤は嬉しそうだった。2008年8月に
ソーニャは加藤を見舞う。これが相見える最後の機会だと
いうことをお互いに知っていたはずである。そのときの加藤の
表情は、病に苦しむいつもの表情とは違って、華やいで見えた。
今日となっては、父加藤信一から始まる親族で「加藤」姓を
名乗るのは、ソーニャ・カトウ氏ただひとりである。」(p77)
(「加藤周一」という生き方、鷲巣力 筑摩書房 2012)