鴎外の遺言の読み方

http://gunnkei.sakura.ne.jp/99_blank139.html
平川祐弘の旧著「和魂洋才の系譜」が河出書房から豪華装丁で出たらしいので中を
覗いてみたら、中野重治との論争についての東大の学生の意見を引いた反論や
竹内好の言いがかり?への言及が平凡社ライブラリ版を引き次いでそのまま載っていた。
解説の粕谷一希も平川の肩をもっており、この本の肯定的な外国人研究者の書評も
一緒に載せているが、批判的または懐疑的な書評はもちろん載っていない。
何を読んでみても真芯を捕らえない2002年松岡正剛の書評はくだくだ長いだけで、それこそ
平川著を読んだ方がよい。
「本書には刊行当時は反発もあったらしい。とくに中野重治からのクレームが議論になったようだが、これはのちに読んでみて勝負にならないものだった」。
http://1000ya.isis.ne.jp/0686.html
最近の評価はどうなっているのか、検索してみたら上記の安宅夏夫氏の文章が
出てきた。エリーゼ問題を論じているのだが、遺言についても言及がある。
小平克という高校教師を勤めた人の唐木、中野、平川の論を紹介しているが、
平川新版のおまけや粕谷解説とは異なる評価である。安宅の文章から長いが
以下そのまま引用する。
「小平は平川が、「遺言の文章に反復がみられ、語気が荒らかなことは事実だが、それは自分で筆を取った文章でなく、口述筆記をさせたために、命令口調が強く出たのではあるまいか」としているけれども、事実は、筆受者の賀古は、「大正十一年八月二日付加藤拓川宛書簡」で、「別紙森の遺言ハ遺憾ながら充分にガンバル事能(あた)ハざりしが其筋ヘ不敬ニ渡ラヌ程度ニ切リ上ゲ申候」と述べており、「遺憾ながら」よく頑張れなかったが宮内省陸軍に「不敬」にならぬ程度におさめた、と解説している(山崎一穎監修『鴎外その終焉・新資料にみる森林太郎の精神』・森鴎外記念館・一九九六刊)から、平川の所見は逆となる。賀古の書簡の文面からすれば、「遺言」は鴎外の口述をそのまま筆録したのではなく、激越な言葉も語っていたらしく、鴎外が自分で筆を執ったら「不敬」になりかねない気配だった、と小平は推測する。
 小平は、このように見ると、中野重治が『鴎外 その側面』(筑摩書房・一九五二刊。ただし「遺言状のこと」の執筆は、戦中の一九四四・七)で夙(つと)に言ったように、「鴎外は何のために、何をおそれて、あれほどむきになって死の外形的取扱いを拒んだのであろうか。どうして、あれほどに力をこめて、それに対する嫌悪の情を露骨に表白したのであろうか」と疑問をもつのが文章に即した読み方であり、平川が「主観的要素の濃い判断は、筆者自身の人柄や気分を示しても、鴎外の心を明らかにするにはあまり役立たないようである」と述べて、平川が、先立つ代表的論者二人、中野・唐木の評釈を「党派的な感情や恣意的な解釈が混じる」と蔑(なみ)するのは的外れの批判だとする。」