読む行為

直木賞の発表があったが、今回受賞された方の作品は読んだこともないし、これからも読みそうにない。
こういう小説を読んで何かを得るということはあるのだろうか。
映画館で時間をつぶすようなものなのか。それでも一方的に情報を流してくる
映画やテレビと違って、どんな文章でもある種のエネルギーを費やさないと
意味も取れないと思うが。戦没学生の日記か何かに、回りに活字がないので、
薬の説明書の活字を食い入る読んだ、という記述があったが、印刷物が溢れて
いる世の中にわざわざこんなものを求めて読むというのが、まずわからない。
近くの図書館での予約のリストを見ても死ぬまで読まないだろう本ばかりで、
自分とは異なる人が世の中にはいかに多いのかと驚く。
解剖学の養老先生がミステリーを読んでその感想を書かれた本があるが、こんな本まで
読んでいるのか、と呆れたことがあるが、養老先生くらいになると頭を休めるために
そんな本も読んでおられるのであろうか。
確か林達夫も頭が疲れると確かディケンズを読む、とか言っておられたような記憶があるが、
当方はディケンズの小説を読むのでも結構疲れるのだが。
やはり自分の能力や性向とは全く異なる人が世の中の大半を占めているのだろう、と
あらためて自分の思っている方向に世の中が動かない理由がわかるような気がする。
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