恩師のこと

たまたま通った学校で、たまたま教えてももらった教師がひょんなことから有名になり、
あるいはもともと有名であった場合、その教え子たちは後年なにかの回想なりを書くもの
だろう。その意味で、駒場由良君美に英語を習った学生は1000人くらはいるかと思われるが、
その後彼の思い出を書いたのは、四方田犬彦「先生とわたし」や高山宏だけというのは
どういうことだろうか。特に文学部系で、その後大学教員になった連中もその中で1割はいる
だろうに何の思いでもないのだろうか。確かに由良氏は文Ⅰ、文Ⅱのクラスの英語の授業も
担当していたから、その時の学生は今頃中央官庁で鳩山内閣の辞任で右往左往していたり、
銀行で得意先の融資案件の引き上げを検討していたりしているだろうが、それでも教養
学部というものがあって、それが何らかの影響を学生に与えているとしたら、もう少し
40年前の駒場での由良氏の英語の授業について何かを言うべき人がいないということは
寂しいのではないか。彼の、時々は精神的に不安定であったペンギン版のイブリン・ウオー
やド・クインシーを読む授業はあたなたちに何の影響も残さなかったのですか。