シェルブールの雨傘

1964年にカンヌで受賞したこの実験的な映画を始めてみた。
制作45周年記念とかでデジタル化されたDVD.92年にはフランスの
文化省の支援でニュープリントが作られているが。
 90分ばかりの映画で、ピンクの壁紙や衣装、ルグランの旋律を
これでもか、とばかりに見せ付ける。カトリーヌ・ドヌーブは当時
20歳だが、映画の最初の場面では17歳で、それ以後同じ人物かと
思わせるような変化を見せる。彼女も日本人のブロンド女性の
イメージを作ったひとりだろう。
 脚本はドヌーブが妊娠したのに、アルジェリアへ徴兵された
ギイを待てずに金持ちの別の宝石商と結婚してしまうという点が
純愛を貫かずに金に目がくらんだようになっていて残念だった。
 ここはギイの誤った戦死の報を得て、宝石商と結婚し、その後
あの最後のガソリンスタンドの出会いを持ってくるということに
すれば、それこそ万人が泣いた作品になっただろう。
 この映画をみてなぜシェルブールに場面を設定したのか、必然性が
感じられず、どうしてもこの港町に行ってみたいという気にはならない。
 フランス語の勉強?のためにこのLPを大学生時代買って、結局は
通して聞くということもせずに今日まできたが、便利な時代になった
ものである。会話をメロディに乗せたため、フランス人はしばらく
少なくとも男女間ではこのメロディを無視して会話できなかったの
ではなかろうか。
 ドヌーブのエロスを感じるために今度は「昼顔」を見てみたい。
(追記)これを書いた後で図書館で朝日新聞をくっていたら、その
前日30日の朝刊別刷りにこの映画が取り上げられていた。
 なんという偶然!

http://www.asahi.com/shopping/tabibito/TKY201107280444.html

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しかし児玉龍彦教授の指摘された事例について、長崎大学
先生たちは何もいわないというのは単なる学力不足という
ことなのだろうか。わかっていて言わないというレベルの
人たちのようにも思えないのだが。