吉田秀和死去


吉田秀和が5月22日に98歳で亡くなった。
 白水社の全集も10巻目まで買ったし、その後は新聞紙上や「レコ芸」の連載で
初出時にほとんど読んでいた。全集の追加分もまとめらるごとに図書館で
借りて全部読んだ。毎年年度末に紹介されるCDは大体買っていたが、必ずしも
当方の趣味と合わないものもあった。

 既にいろんな人がいっているが、グレン・グールド、特に最初のゴールドベルクを
高く評価したことと、来日したホロビッツについてのNHKの番組での「ひびの入った
骨董品」発言がこの人の歴史に残る名シーンであった。

 加藤周一と同様、フルトヴェングラーを生で聞いた証人がまた一人減った。
(ひょっとしたら最後の人だったかもしれない。)


朝日新聞5月29日社説 吉田秀和さん―言葉の力を教えられた
「思えば、3月に亡くなった吉本隆明さんも立場は異なるものの、文学や政治、
サブカルチャーまでを幅広く論じた。2008年に亡くなった加藤周一さんも
「知の巨人」と呼ぶのにふさわしい存在だった。」
 この社説を書いた記者は吉田秀和吉本隆明とどう「立場は異なる」と
思っているのだろう。吉本は音楽、特にクラシックは最後までわからな
かったようだがそれについて触れた吉本論を見たことがない。
(そういえば吉本も小林秀雄の「モーツアルト」についても論じたことがない。)

 最晩年の「永遠の故郷」4部作は、引用されている歌詞がそれ自体であまり
すぐれたものとは思えず、その引用を読んでもとの歌曲を聞いてみたいという
思いに残念ながら捉えられなかった。音楽と文学の相関関係を論じるという
試みは、堀江俊幸が朝日新聞追悼文でいっているほど成功しているとは
思えなかった。

久しぶりに26日の夜にFMで「音楽の楽しみ」の放送を聞こうと思って聞き逃した
のであるが、今から考えるとこれもあの世からのお誘いだったのかもしれない

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http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1312011.htm
上原淳道の思い出。これも「先生とわたし」の変奏曲ではないか。
猫猫先生は「インドで暮らす」の前文などより、この上原との
関係を紹介したかったような気がしてならない。