林達夫vs吉田秀和

ご両人があの世へ旅立ちされたが、こんなことがあったことを思い出した。
話はヴァーグナーマーラーの評価について、林と吉田の間で意見が異なる
事からはじまったらしい。

林達夫著作集 別巻1(おい、平凡社、いつまで1だけなんだ、いい加減にせい)

163 益田朋幸 宛 1977年3月22日
 ・・・吉田秀和の「俗説」−おかしいと思います。「各人各説」結構ですが、
マーラーヴァーグナーとは恐れ入りました。あの男にそんなことを
言う資格がありますか。音楽生活五十年、マーラーが彼やっとわかって
きたのは、音楽全体に対するそのすごい年季の入れ方にも拘らず、
せいぜいこの十年来のことでしょう。(「全集」2「マーラー」参照)
彼の「名曲300選」(全集7)には「大地の歌」一つしかあげていません。
・・・・彼の十巻の全集のどこに、ヴァーグナーと取組んだ論考がありますか。
冗談も休み休み言うがよい。・・・・好き嫌いといい悪いの評価とは微妙に
からむものですが、ニーチェではないが、ヴァーグナーはヨーロッパのデカダン
です。そしてマーラー西洋音楽の(少なくとも後期ロマン派の)崩壊現象で、
いずれも病理現象です。吉田秀和が嘗て君にぼくが言った名前をすてて、
モンテヴェルディを除けば、後の連中とは実にいい附き合を彼、しています。)
よりによってマーラーヴァーグナーを挙げたとすればそれは彼の老化、
少なくとも老いらくの恋という異常を示すと申さねばなりません。大作曲家
には、きみの言った吉田秀和のわけ方ー稚戯に類するーそんなものをすっと
ばかす両面を必ず具有しています。
・・・吉田秀和ヴァーグナーマーラーというのは、好意に解すれば、ぼくが
ドストエフスキーを云云するのと、同じ事情があるのかも知れません。いちばん、
あとまわしになった、しかしいちばん問題になってきたひとという意味で。


これが書物となって公になったのは1987年、いまから25年前、これを
読んだ吉田はどう思っただろう。

170 萩原延壽 宛 1978年1月7日
 ・・・吉田秀和学校は中途退学して、目下柴田南雄学校を時々盗聴しています。
171 益田朋幸 宛 1978年4月24日
 ・・・現に、君にいつか吉田秀和の悪口を言ったが、そのあと新潮社から出した
『私の好きな曲』(はっきりした題を忘れたが)とかいう本を読んで、やはり
大した奴だと感心しました。

 これで吉田秀和も安心したに違いない。