岩波書店的なー小田実

小田実「生きる術としての哲学」
 小田実最後の講義 岩波書店
 2002年に慶応大学で行われた「現代思想」の講義録
 
・p29
 たとえば、福田官房長官(当時)は、政府高官の意見と
称して「非核三原則」の見直しはよろしいと言い出した。日本の
錦の御旗は「ヒロシマ」「ナガサキ」でしょう。日本が世界に発言権
をもっているのは、金持ち国だからではなくて、「ヒロシマ
ナガサキ」の被爆体験があるからでしょう。
・p36
 「日韓基本条約」は、韓国を朝鮮半島の唯一代表として
規定したものです。北朝鮮を無視した。そこからいろいろな
問題が始まっています。われわれは南北の対立のなかに巻き
込まれてしまった。そのときに南北朝鮮と国交を結んでいれば、
拉致事件」はなかったはずです。北朝鮮と国交を結ばなかった
という事実が、歪みを生み、その歪みが波及した結果として、
拉致事件」にまでなってしまった。

これを聞いて学生はおかしいと反論しなかったのか、と思って
いたら5章の学生の質問に小田の北朝鮮認識と拉致問題
ついて問いただした学生がいた。(P153)
「先生は、「朝鮮と私」などで、1970年代後半に金日成について
好意的に書いておられます。1977年には「拉致」があったわけ
ですが、その「拉致」に金日成が関わったか調べたことはなかった
のでしょうか。あるいは1980年前後に、先生は「拉致」問題に
関して発言していなかったのですか。」
「私が北朝鮮に行った1976年の段階では、拉致は話題になって
いなかったし、実際に何もなかった。だから、金日成が「「拉致」
にかかわっていたなら、彼は確実に経綸を失っていたにちがいない
」と書いています。1976年の段階においては、誰も知らなかったし、
私も知らなかった。」
「1977年以降はどうですか。」
「1977年以降も、拉致があったことはほとんど誰も知りません。
私は最近、この5,6年になって「拉致」はあるだろうと思い
ました。しかしその点を調べようがない。だからその問題に
ついて、私は全く発言をしていません。」
「調べようとはしなかったのでしょうか。」
「私にはすることが他に山とあるし、何もかもできるわけでは
ない。私は政治家でもない。私は北朝鮮がそれほどひどい国
であるとは思っていなかった。最近になってどうもやっている
ような気もしてきたけれど、それは無責任な発言になって
しまう。私が調査しようとしたって、政府がやってできなかった
ことはできない。無理です。」

 言い訳としてはいささか苦しく、自らの認識が謝っていたことに
対する反省の弁があってもいいかとも思うがどうであろう。