弔辞

2009/2/21「お別れの会」弔電・垣花秀武(元東京工業大学教授)

朗読NHKアナウンサー・国井雅比古さん。
加藤周一君よ。君が亡くなってしまって、僕は悲しい、と同時に寂しい。僕たちは旧制第一高等学校で同じ理科。随分と近所に居たが、君は既に旺盛な文藝活動を始めていたし、僕はずっと運動部でホッケーをしていたから、生活がすれ違って、なかなか出会わなかった。僕たちが親しくなったのは東大だったね。専攻は違ったが、加藤君が医学部の講義を受けていた教室と、僕が理学部科学科の卒論研究をしていた研究室が同じ建物の一階にあり、よく顔を合わせるようになった。あの時の君は三、四人の医学部の学生と一緒に熱心に勉強していた。体つき、身のこなしが、しなやかで、きれい。顔は学者、声は静か、当時もその後も、君はいつもジェントルマンだ。普通の秀才ではなく、天才とも言える秀才で、心の温かい、心の優しい大秀才だった。僕は君からフランス文学を学び、君は僕からカトリックの話を訊きたいといった。加藤君は真正のカトリックを求めていた。二人とも東大で専攻する学問に飽き足らず、ふたりとも日本の軍国主義に反対で、加藤君は当時、流行りの軍医になることなど全く考えていなかった。開戦の当日、灯火管制下の新橋演舞場で、ろうそくの炎ゆらめく文
楽を観た。その僅か数人の観客の中に、偶然、若き日の君と僕が居合わせていたことを、遥か後年、僕たちは君の上野毛の自宅で語り合い、初めて知った。驚きであると同時に意外ではなかった。全てを語り合わずとも、思想、行動の両面において全幅の信頼を寄せられる友。それが僕にとっての加藤君であった。君は人に優しく、友情に篤く、常に弱者の味方で、例えば、女性の立場についても有り過ぎるほどの理解があった。強靭な理性と正義感と共に、温かい情が常に君を離れなかった。そのような類、稀なる人間である君と70年近く、この地上で付き合えた事に私は深く感謝する。しかし、加藤周一君よ、君が亡くなり、僕は本当に悲しく寂しい。2009年2月。垣花秀武。」

会場で聞いていたが、出席者に感動が広がるのがわかった。