興行師・大島渚

 大島渚は大衆芸術の世界へ前衛的なものを持ち込み、それで
興行的にそれほど失敗せずに生き抜いてきた。そのこと自体が
この極東の島国ではまれなことで、映画一作一作は必ずしも
成功しているとはいえないにもかかわらず、後から振り返って
みると「たかが映画」で見事に世間を泳ぎ渡っていること、それが
彼の作品なのである。
 松竹との確執や、日本共産党批判や、猥褻裁判なども相手が
知らず知らずのうちに大島の興行の世界へ引きずり込まれていく。
愛のコリーダ」裁判なんぞはなんで日本政府がわざわざ大島を
訴追して支援するのか、不思議なくらいである。
 ちなみに「日本の夜と霧」を小生が見たのは30年前の新宿
蠍座であったが、長回しの画面に観客が高揚して引き込まれて
いくのがよくわかった。
 中村雄二郎のエッセイを読んでいたら、ポール・リクールが
中村に「愛のコリーダ」をどう思うか、と聞いていた、という
ことが書いてあった。リクールは何を中村の答えに期待していた
のだろう。