恥の文化

米国議会のトヨタ公聴会をみていたら、トヨタに対して「恥をしれ」というアメリカ人が
出てきて「恥の文化」ということを思い出した。最初はレクサスを運転中に時速160キロに
急加速したというスミス婦人。次はトヨタ社長に対してトヨタの100万ドル節約成功を
記した内部文書を示して攻め入った議員。
 どちらも事実ならば、アメリカ人でなくても恥ずかしいと思うのだが、何故彼らは罪を
感じないのか、と言わなかったのか。
 こっそり修理をしているなんてのは、「恥」を感じるからであって、すくなくとも「罪」を
感じるという文化とは遠い。むしろ、罪を感じろ、といった方が日本人には効いたのでは
ないだろうか。
 今回のトヨタをみていると、ソニー化しつつあるのではないか、という気がする。
一時まだ好調であったソニーの製品に不具合が多量に発生したことがあった。小生のビデオ
カメラも突然撮影できなくなり、修理に出したところ、メーカーのミスということで無償
修理であったが、別にHPで知らせるわけでもなく、客が言ってきたら対応するという
ことであったらしい。これもなんとなく今回のトヨタを思い出させる。
 そもそもパソコンだって故障するのが前提のようなものだが、電子部品を大量に使い
制御している自動車でも大量生産して劣化すれば不具合が生じるのは別に不思議ではない
だろうと思うが、あまりそういう議論をしている人はいない。
 今回のトヨタ問題について論評している人は学者が中心で、実務に携わっている人が
メディアでは沈黙しているのもなさけない。

                                                                                                                                      • -

外国人記者クラブで舛添さんのスピーチを放送していた。初めて彼の英語を聞いたが
自らの日本語の影響を残した発音であったが、言いたいことが良く分かる明快な
英語だった。