ポゴレリッチを聞きにいく

 春陽気の中、自転車で国際フォーラムまでLa Folle Journee au Japon の
今年の目玉であるイーボ・ポゴレリッチのコンサートを聞くために出かける。
NHKでも10時間生中継とかやっているが、当然(?)のことながらポゴ様の
中継は教育的配慮からか、ない。ピアノコンチェルトの中継は、ポゴ様の後の
ベレゾフスキーの1番となっております。
 丸の内界隈も新ビルが立ち並び、高級洋品店やカフェがいつの間にか増えて
休日といっても人出が多い。連休も大型化ということで、どこか行くところの
ない人もこういう新開地へ出てくるのだろう。休日の大手町、丸の内界隈は
人もいなくて東京の真ん中にしては不思議な雰囲気であったのだが、そういう
こともなくなりつつあるのか。
 この熱狂の日の催しも国際フォーラムのコンサート会場以外はどこで何を
やっているのか、あるいはやっていないのか、よくわからない催し物であるが、
なんとなく毎年祭り気分で悪くない。4月1日に合併したばかりの小生の会社も
協賛しているのだが、どういうわけか、合併前の会社マーク・ロゴとなっていた。
しっかりしろ、広報部。
 演奏会場のAホールは5000人の馬鹿デカホールで、1階前列以外は音が
届かないので、今年は早めにチケットを手に入れ、前から13列目のほぼ
真ん中。このでかいホールがほぼ満席となるのだから、いくら安いといっても
すごい。音楽おたく風も見受けるが、「親しみのあるショパン」を聞きに来た
一般市民が大半か。
 さて、演奏のほうは前半はショパンの師であったとかいうエルスネルという
作曲家の交響曲作品11。ハイドンから古典派への入口の人という感じで
特に目立ったものはなし。シンフォニア・ヴァルソヴィアの手慣らし運転という
ところか。CDもこの曲のものはないようだ。
 後半はいよいよポゴ様登場。彼も50歳を超え、体格も太り気味だが、さて
本日はいかなることなるか。ヘヤスタイルはポマードでオールバックにした
ミケランジェリ風。演奏はともかく挨拶にしろ、表情にしろ、どこかミケラン
ジェリを意識している風。スケジュールちらしには「FLFJ初登場の鬼才が
なにかを巻き起こす!」とあり、期待が膨らむ。楽譜を持って出てきたのに
まず驚く。どうせ、楽譜どうりには弾かんでしょ。
 さて、ショパンピアノ協奏曲第2番が始まる。第一楽章は強音が鳴り響き
それも必ずしも美音とはいえず、リズムも変で、オケも変なものに付き合っている
というのがみえみえ。そのうちにこのまま最後まで弾けるのか、という思いに
囚われてくる、そういえば一時精神がおかしかったということを思い出した。
 第2楽章はさらに強音と弱音のコントラストを強調し、遅いところでは
曲が止まり、こちらの心臓も止まりそうになることが何度かあり、いよいよ
最後まで弾けないのではないか、と思わせる展開に。オケは合わせるのに
苦労をし、オケ単独となる部分ではそれこそここぞとばかりに「普通」に
弾いて、本当はまともにできるんですよ、といわんばかりで、笑わせる。
 第3楽章、いよいよポゴ様のパワー全開、強弱とリズムを楽譜と全く
異なるように、俺様解釈の大展開。小生の席からは時折苦しげな表情を
見せるのは見えるが、鍵盤上の動きは見えないが、ハイテクジャパンの
大画面が舞台左右にあるおかけで指の動きも見える。ここぞとばかりに
右人差し指で鍵盤を突き刺すのに何度もお目にかかる。
 何とか、40分かかって最後まで弾き通したが、こんなトンでも演奏を
聴かされて、果たして聴衆の反応はどうか。
ブラボーがいくつも飛び出す。拍手もすごい。立ち上がっているのが結構いる。
 ポゴ様、演奏中の苦しそうな顔つきにもかかわらず、聴衆の反応がよかった
ためか、再度楽譜を抱えて登場。アンコールは再度第二楽章を全曲弾いたが、
あらためてそのマニエスリズム風というか、独断解釈というか、異形な演奏に
耳も眼も引きつけられる。俺のやっていることをよく見ろ、といわんばかりの
ひとつ間違えばその種の病院行きの確信犯。
 最後はご自分でピアノの蓋を閉め、おまけに椅子を足で蹴飛ばして、ピアノの
下に入れた。
 恐るべし、ポゴ様。やりたい放題。他の会場で「まともに」演奏している連中が
馬鹿、アホ、無能で単なるピアノのお稽古に見えてくる。大衆化をめざす催し物で
このような危険な芸術的な演奏が昼さなかに首都の一般大衆の前で演奏することが許されるものなのか。
 予定60分の演奏が、アンコール含め、90分と延長。
 さて、会場出口のタワーレコードで、アバドと競演したドイツグラモフォンのCD
を記念にご購入なさった善男善女の皆様、中味は本日のものとは異なってだいぶ
おとなしめになっておりますので、悪しからず。タワーレコードの店員が「今の
演奏はこちらのCDとなっております」といって売っていたがひどいデタラメ。
ポゴ様、来年もぜひこの催し物で、快演を。

(追記)
 4月28日にもアルへリッチの代役で、シャルル・デュトワと同じコンチェルトを演奏していることが
わかった。やっぱり快演でデュトワは演奏後の挨拶に出てこなかったらしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/andante730/32008925.html
演奏後、ピアノの蓋を閉めたり、椅子を蹴り込むのもいつものパーフォーマンスであることも。
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-724.html
バーンスタインとグールドの例のブラームス協奏曲と比較する人も多いようだが、確かに
生でなければ体験できない演奏であった。

別の演奏会で彼の演奏を聴いたプロの方の感想があったので、少し長いが以下にご紹介。
http://blog.goo.ne.jp/pianist-gensegawa/e/81f804a042505e9ef5f7e4d2f33844ef
「ピアノを弾く同業者として、ポゴレリッチの演奏があまりに「毒」であることが我々を困惑させるのだ。
素直に感動することの出来ないのは、常日頃自分達の向かっているピアノと音楽について、あまりに違う
方向を示し、そして喝采を浴びるポゴレリッチを目の当たりにして、自分達が日頃必死になってやって
いることはなんなのだろうという、圧し掛かる不安を覚え、我々が混乱してしまうのは、仕方の無いこと
かと考えたい。
それにしても、それにしてもやはりこれは言い訳でしかないのかもしれない、
肝心なことはそこではない。
このポゴレリッチに演奏に、確かに「心動かされた」人がいること、
これがこの演奏会における、音楽の大きな意味を持つように思える。
立ち上がってブラヴォーを連発する人もいた。大いに感動したのだろう。そして、そうした興奮を表に
現すだけが感動ではなく、静かに、涙をこらえて、彼の奇怪な音楽に心を動かされた人もいたという・・・。
もはや、よい、わるい、という単純な問題ではない。
一人の人間の生き様が音楽という鏡によって映し出された時空間がそこにはあったのだった。」

もうお一方、こちらは2005年の演奏の感想であるが。
http://plaza.rakuten.co.jp/salesperson/diary/200510240000/
「私の感想は、ロマン派の美術館に行ったものの、現代アートを見せ付けられた、そん
な印象です。あれだけ間延びしますから、みんな息を潜めて緊張して聴いています。
有名曲だけに、みんな期待しています。そして、緊張感と演奏両方に我慢できず、吐き気をもよおします。
演奏途中に退出した人が多数いたことに驚きましたが、私もそう感じた一人です。
こういうピアニストはこういうセンスで弾いていますし、クラシック界に何か真新しいものを求める聴衆、
評論かも飛びつくかもしれません。ただ私には、グロテスクな宗教的行事に感じられました。

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