身は売っても芸は売らぬ

左翼である平野謙が恩賜賞を天皇から受け取ったことを没後1年の
「偲ぶ会」(1979年5月31日新橋第一ホテル)で、井上光晴
次のように発言した。
(「ある批評家の肖像 平野謙の<戦中・戦後>杉野要吉
勉誠出版 2003年 p598)
「なんのために「戦後の文学」をやってきたんですか。本多さんも、
中村さんも、埴谷も含めて、ぼくはそのことに責任があると思います。
ぶんなぐってもいいから花びんを突返すことが、平野さんを最後の
土壇場で救う道であった。しかし、残念ながら彼らは救えなかった。
救おうとしなかった。・・・・総体として「近代文学」グループは、
平野謙が恩賜賞をもらうことを許容したわけですね。その瞬間に
おいて、「近代文学」の理念はとどめを刺されたというふうに考えて
います。」
 「花びんを突返す」というのは、授賞式で天皇から花びんを手渡される
からである。
さすがは「全身小説家」の言であって、日本の左翼文学などは30年前から
崩壊していたのである。埴谷雄高なんぞは、吉本隆明の家のシャンデリア
をうんぬんする時間があったら平野謙を殴りにいけばよかったのである。
 杉野の著は平野謙が戦時中に情報局の井上司朗に頼み込んで、
嘱託としてもぐりこんで文学報国会で果たした役割、戦後の天皇
の評価、死ぬ前の恩賜賞受賞まで、どのように世渡りをやってきたか、
追求した労作であるが、残念なことに価格(16000円)が高く、また
繰り返しが多いので、再編集の上どこかの出版社から出し直して
もらいたい。