三番目の原爆投下先

今朝の朝日新聞の連載記事で、大江健三郎が、40年前に森有正
国際基督教大学のキャンパスにインタヴューにいったがドタキャンされた
ことについて書いている。
 その原因は事前に大江が森に提出していたインタヴューの質問に、次のような
ものがあったからだと最初大江は考えたらしい。
 森のところへ以前フランス人の女性が訪ねてきて、その会話の中で「三番目の
原子爆弾が落ちるのは日本人の頭上だ」といったことがあり、そのことに触れて
(多分「木々は光を浴びて」に)書いた文章について、その発言後、森とその
フランス女性の間でどのような会話があったのか教えてもらいたい、と大江は
質問したのであるが、そのために、森がインタヴューに抵抗しドタキャンしたのではないか、
とその時大江が思ったようである。
 ところが、その夜に森から速達が大江の元に届いて、そこにはあるフランス人女性
の発言としたが、実はそれは嘘であって、最初に森自身の思いとして書いたのだが、
編集者の助言でフランス人の発言とした、ということが書いてあったというのである。
 森は大江がその発言者がフランス人であったことの人種差別的なことをいっているのか、
とおもったらしい。編集者の心配はそのようなことを日本人がすると国内的な
反発を招く、ということだったらしい。この後大江はこの第三の原子爆弾の危惧が
福島で現実となったということに話を続けていくのだが、何故直前までバッハのオルガン
演奏をしていた森へのインタヴューがドタキャンされたのか、結局はわからないままで
終わってしまう。
 十代でこの文章に出会った私も、フランス人がなぜわざわざ次も日本に原爆が落ちる、
といったのか、また森の文章を読んでもなぜそうなのか、理由がよくわからず、実に
違和感を感じたことを記憶している。もとより森はフランスに住んでいてフランス人の
友人も多いのであるから、本当は発言者が特にフランス人であることにそれほど意味が
あるとも思えない。フランスより日本の外交が稚拙であるから、「先進国」の人間が
忠告してくれたというようなニュアンスをこのエピソードに含ませてしまっている。また、読者のなかには、
保有国のフランス人がいうのであるから、日本も核保有せよ、というようなメッセージなのだ、
と感じ取った読者さえいたかもしれない。
森がいいたかったことは、日米安保があるゆえに日本が戦争に巻き込まれるという当時の
一部左翼の戦争反対の理屈だったのだろうか。日本に原爆を投下するとなると当時は
ソ連か中国なのだが、森は本当にそんなことを切羽詰まったこととして心配していたのだろうか。
 そんな森の文章自体あいまいなままもものであるから、この大江の文章も(バッハの
音楽について正確な知識を蓄えている息子に比しても)何かしらいつも世の中をぼんやりと心配している
作家というイメージしか残さないものに終わっている。

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15日の朝日新聞夕刊に12日の東大の世界文学のシンポの記事がのっていたことを今日しった。
記事の内容と私が感じたこととは若干ずれがあり、そのことを書こうと思ったが、そのままに
なっている。気分が向けば、またさかのぼって書いてみたい。