加藤周一と広島原爆

以下はあるブログからの記事からの引用。加藤周一は原爆投下からしばらくして
広島に入っていた。その時のことは「羊の歌」に書いてあったのだが・・・
図書館へ行って調べてみよう。

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1946年12月20日、都築正男博士が中国新聞を訪れ語る。
(1)放射能による内臓障害はほとんど回復、今後も心配ない
(2)妊婦も問題ないなどと語る。
ヒロシマの記録1946年12月|ヒストリー|中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

この時期、都築正男は、公職追放中であった(1946年8月3日以降)。東大医学部教授と
しての地位も失職により失い、収入の当てもなくなっていたはずだ。11月27日、都築は
東京帝大でポール・ヘンショウ、ジェームズ・ニール、オースティン・ブルース、
メルヴィン・ブロック、フレデリック・ウルリックのABCC調査団と面会した。11月28日には
失職してなくなったはずの東京帝大の都築研究室に都築は調査団を案内している。この時、
作家としても有名になる加藤周一とABCC調査団は面会している。11月30日から12月2日まで
東京帝大付属病院に調査団を案内。

12月11日、都築正男は長崎県庁で長崎県衛生課長とABCC調査団の一部を引き合わせている。
12月20日、ABCC調査団のブルースとヘンショウが呉市の呉共済病院を訪問。この日、都築は
中国新聞社を訪れ、上記の内容を語ったのだ。

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