大島渚死去80歳

大島渚が午後死んだ。
彼の映画の大半は新宿にあった蠍座でみた。
田舎から出てきたばかりの大学生には、日本にもこんな映画作家
いたのかと驚きだった。
 蠍座であまり一般公開されない「日本の夜と霧」が上映された時は
新左翼的な観客が多かったのか、異様な熱気につつまれ、
それこそ「そうだ」とか、掛け声がかかりそうな勢いだった。
 猫猫先生は否定的なようであるが、「絞死刑」を見たときも、こんな
テーマで商業作品を作ってしまう腕前に驚いた。「少年」は別の映画館で
見たような気がするが、当たり屋の少年の白面がその後ずっと網膜から
離れなかった。
 映画を撮れずにテレビ朝日モーニングショーで、人生相談を務めていた
頃は本当に痛々しかった。
 「マックス・モナムール」の馬鹿馬鹿しさにはその愚劣さに驚き、衰えたか
大島、とも思ったが、病み上がりの身で撮影した「御法度」で復帰し、
その完成度の高さには更に驚いた。
戦場のメリークリスマス」は原作のヴァン・デル・ポストを訳した
故ミミズク先生もビートたけし坂本龍一を使って受けを狙った大島の
意図が成功していない、と生前思っていたに違いない。
 いまNHKのニュースで「愛の亡霊」を挙げているのはなんという時代の変化
だろう。この映画は日本の官憲を挑発するために作ったような映画で、それに
引っかかってスチール写真の本を刑事事件にした日本の政府などというものは、
大島の営業協力をしているようなものだった。
 「朝まで生テレビ」が当初盛り上がったのは、大島渚が真夜中に討論者が
もたもたし始めた時に、啖呵を切ったからだった。
 これほどはったりで世渡りしながら、自らの芸術性を失わずに生ききった
のは、批判をしようとすればいくらでもできるものの、やはり役者が一枚上
だったといわざるをえないだろう。
 大島作品で一作を採るとするとどれか、と問われれば、「日本の夜と霧」だが
やはり「愛のコリーダ」で記憶されるのが、残念である。

http://www.nytimes.com/2013/01/16/movies/nagisa-oshima-iconoclastic-filmmaker-dies-at-80.html?partner=rss&emc=rss&smid=tw-nytimes&_r=0
愛のコリーダ」はアメリカの税関でも猥褻だと判断され、裁判で否定された
ことをこのNYTの記事で初めて知った。