大岡昇平の平川祐弘批判

大岡昇平全集21巻 507P
初出:「文芸」一頁時評 1973年5月号
「引用さまざま」
「近頃論争がないといわれる。…その中野老が、本誌先月号で、
息子ぐらい年が違う平川祐弘にかみついた。」
「『和魂洋才の系譜』は好評の鴎外論である。…中野の論文を
読むと、参考書として使うのもあぶないようである。」 
以下大岡が挙げているのは、
・中野が昭和22年に発表した論文が、実は戦争中の昭和18年
書かれていたこと。
・平川が「自分が理科教育を受けたから、ものを自然科学的に
見る癖がついたと思い込むくらい無邪気だが、自然科学的ずる
さも併せ持っているようである。」
 例として、鴎外と常盤会の関係について、
森鴎外や賀古鶴所も出席していた歌会常盤会」と説明している
点。(実際はこの両名が幹事となって組織されていた。)
「あたかもその他大勢の中の二人であるかのように書いているのは、
かなり悪質なレトリックといえよう。」
与謝野晶子の評価
「『平和を唱える人と平和を結ぶ人』は鴎外とは関係なく、晶子、
鑑三、蘇峰を並べて、蘇峰の、「いちばん立派な態度」を礼賛
した章だが、晶子の『君氏にたまうことなかれ』にトルストイ
『非戦論』の『反響』を認めている。『すめらみことは戦ひに
おほみづからは出でまさね』云云の詩句を五行引用して、
『日本人ばなれしたどぎつさを感じて』いる。しかしすぐそれに
つづく『大みころの深ければもとよりいかで思されん』との
極めて日本人的な二行は眼に入らなかったらしく、従って
何も感じなかったようで、引用していない。」
「平川は晶子の『町人意識』と家庭感情を自然科学的に探り出して、
『裏店の山神的の毒舌』といった桂月に同調している。しかし、
晶子はとにかく明治の歌人であり、源氏物語の現代語訳者である。
堺の旧家の娘の古典的教養があり、王朝的平和天皇イメージが
あったことを併せ考えないと、自然科学的とはいえないだろう。」

最後に大岡はこの一頁時評を次のように痛烈に皮肉って締めくくっている。
中野重治が戦争中から鴎外について書いていたことは、各種
文献にくどいくらい出ているから、いくら保守レトリック精神内に
充溢した自然科学者平川でも、知っていたろう。しかし戦後の
鴎外遺言に関する反保守的発言の代表としては、中野ぐらいの
人物を持って来ないと、自然科学的にはぱっとしないから、昭和
十八年執筆の記録を無視した、と各種自然科学的兆候から推察
されるのである。」

※大岡のこの文章があることは以下で知った。
 丸川珪一『和魂洋才の系譜』をめぐる「中野・平川論争」
  中野重治研究第1輯 中野重治の会 1997
※昨日の朝日新聞別刷りの「ビルマの竪琴」記事に平川が登場した
のは、大岡のこの文章についてたまたま調べていた時だったので、
驚いた。C.G.ユング的同期現象。