女流作家とキリスト者

「他人のことをあまりわるく書きたくないので、一言だけ。
(しかし、一言だけでも、やはり書き残しておかねば
ならない、とてもきびしいこと)。受洗するや、キリスト者
として宣伝し、そのあともそれをずっと続けた女流の書き手の
人を、二人、私は知っている。売名と信仰とが結びつくなんて、
びっくりする。」
 (高橋たか子「この十年に目にとまったこと」この晩年という時
講談社2002年)
 この高橋がいう二人のうちの一人は曽野綾子であると思うが、
もう一人はだれだろうか。