池澤夏樹の書評の間違い

今朝の朝日新聞日経新聞加藤典洋の新著「人類が永遠に続くのではないとしたら」
の書評が載っている。前者は池澤夏樹で、後者は橋爪大二郎。後者は、加藤がどうやら
3・11が最悪の事態だと思っているらしいが、橋爪はもっと悲惨なことが起こるとして
最後に加藤の読みの甘さを指摘しているのがおもしろい。後者は、加藤がいろいろな
思想家・学者を引用しながら、テーマの周囲をうろうろして一体何が言いたいのか、
本人も考えが良くまとまっていないのではないのか、という意味のことをいっている。
 池澤の書評で気になったのは、福島第一原発の日本原子力保険プールで引き受けていた
保険の更新ができなくなったことを次のようにいっていることである。
「『「日本原子力プールが東京電力福島第一原発に対する損害保険の更新しないことが
分かった』という新聞の報道を、現行の経済システムぜんたいの崩壊と受け取る。
次の事故の規模は保険会社連合の資力を上回る。「私たちはあのときから自力では「弁済」
できないほどの「過失」を犯しうる存在になったのだ。」
 これは例えば以下のような報道を念頭において書いたものだろう。
原子力発電所の事故に備えて東京電力が契約している1200億円の損害保険について、
損害保険会社側が、福島第一原発についてはリスクが高いなどとして、来年1月の契約
更新をしない方針であることが分かりました。」
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20111122/

 この書評の記述がおかしいのは、保険プールが(そしてそれの再保険を受けている外国
保険会社も)事故原因も事故程度もよくわからない事故の後で、引き続き同じリスクを
受けるのは無理だと判断するのは別に不思議なことではなく、今後損害が発生したとしても
一体いつの事故原因で発生したのか、確定できないようなそんな保険を引き受ける保険会社
の方がめずらしいだろう。別に原子力保険だけでなく一般の保険でもそんな
保険を引き続き引き受けるような保険会社はいない、ということで、別段何やら深刻な
文明論を論じるような理由からではない。もちろん無保険となると法律上も運転できなく
なるので、それ自体は問題であって、その代わりに東電は供託金を積むか、別に保険会社
を探したわけである。加藤や池澤が大変だといっていたわりには、結局外国保険会社が
引き受けることになったことを2011年12月9日の日経が次のように伝えている。


福島第1原発、無保険回避 東電が外資系と契約へ、保険料10倍
 「東京電力福島第1原子力発電所の事故に備えた保険について、東電は来年1月から
スイスを本拠に国際展開する損害保険大手、エース損害保険との契約に切り替える方針だ。
現在は国内大手損保などが共同運営する保険に加入しているが、契約を更新しない方針を
伝えられていた。福島第1は「無保険」状態を回避できるが、保険料は現在の10倍程度と
大幅に上がる可能性がある。」
 「関係者によると新契約では、現行年数億円の保険料が期間5年で約200億円に上がる。
無事故ならば保険料の一部が戻るが、事故があればさらに約200億円を東電が追加で
払うという。エース損保は海外の再保険会社などにリスクの一部をカバーしてもらう。」
日経新聞12月9日朝刊P.4より引用]

賠償の支払限度額は1200億だから、保険料さえ払えば、海外のファンドあたりで博打的に
金を出すところもある、ということがわかった、というわけである。
念のためいっておくと、1200億円程度の保険があっても賠償額が数兆円に及ぶ事故が
簡単にしかもそれなりの頻度で起こってしまう原発などは到底地球上の保険会社を
集めても担保できず、経済原則に会わないから早急にやめるべきである、というのが
正しいのである。
安全だ、安全だ、というのであれば、推進派の経団連の会員企業が無限責任を負うような
制度をつくってみろ、といえば、たとえ数兆円の担保力でなくとも、だれもそんなものに
手を出さないのである。 
 書評で引用した部分の誤りを池澤も加藤も犯しているわけで、そういう甘さが脱原発派に
対する批判として原発推進派から攻撃されるのである。この加藤著では確率論とか、ベックの
リスク論とかをにわか勉強して、書いているが、その他にも「突っ込まれる」ところが
ないか、気になる。

http://www.keio-hoken.jp/column/776/