シュヴァイツアーと丸山真男

「二つの青年層その他ー丸山真男氏を囲んで」
1948年4月「青年文化」1948年3月号(丸山真男話文集続3)
シュヴァイツァーという人がいますね。アフリカの土人の中へ
はいって行って、一緒に暮らし、彼らの生活の改善に一生を投じて
いる人ですが、あの人の「わが生活と思想より」を見ると、自分は
すこしもいい事をやっているとは思わない。自分がこういうことをやって
いるのは、単に白人が数世紀の間置かしてきた罪悪を償っているに
すぎないといっている。こういう意識です。つまり自分のやっている
ことに、寸刻もあぐらをかかないということ、これはむろんシュバイツァー
の場合はキリスト教の倫理と関係しているのですが、それはともかく、
こういう考え方があるからこそ、絶えず外に対して働きかけざるを得ない。
自分の悪を克服するために、外に対して働きかけざるを得ないと
いう衝動が生まれてくる。ところが日本、あるいは東洋の場合には、これが
しばしば外部に対する働きかけが、自己満足と結びついている。それに
よって何か自分が満足されるという意識、こういう意識によりかかっていると
いうこと、そういう点に問題がある。これはしかし単に西洋はこうだ、東洋は
こうだという問題でなく、東洋の中でも、必ずしもキリスト教と結びつかないで、
そういう考え方が目ざめつつあるのじゃないかと思うのです。

 丸山の思いとは別にシュヴァイツァーが「絶えず外に対して働きかけざる
を得ない」態度で現地人に接していたかというとそうではない、というのが
歴史的事実であったようであり、日本や東洋とはかかわらずとも彼の「自己満足」
に結びついていただけではないか、という厳しい見方もある。丸山が触れている
シュヴァイツァーキリスト教もその植民地主義をささえていた負の歴史が
そこに見られるのではないか、と現時点での批判がありえる。