平井啓之『天皇御歌論争始末記」

平井啓之が1960年に東大新聞に書いた文章が巻き起こした経緯と
その後について、「ある戦後」(1983年、筑摩書房)を出版した
時にまとめた文章。天皇歌会始めの際の歌について、平井が
違和感を感じたことを東大新聞に寄稿し、それについて学生や
文学者、評論家が反応した経緯をまとめている。
 この事件?に、触れた文章を探していたら、以下がみつかった。
全体像はこのブログだけでは掴みにくいが、それよりも驚いたのは
内田樹天皇についての文章だった。
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/20160216/1455602052
 「今上天皇は政治とはっきり一線を画した立場にあり、その点では
明治天皇以来の「近代天皇制」から離れて、古代以来の天皇の立ち位置に
戻っていると思います。
 天皇の本務はもともとすぐれて宗教的なものです。天皇の最優先の
仕事は祖霊の鎮魂と庶民の生活の安寧のために祈願することだからです。
草木国土のすべてに祝福を贈り続けることを専一的にその職務とする
「霊的なセンター」がなければ共同体は成り立ちません。そのことを
今上天皇はよく理解されていると思います。その点では「ローマ法王」に
似た存在なのかも知れない。」

確かに最近さかんに猫猫先生が批判しているように、内田の天皇観と
いうのはリベラルどころか、平井のような学徒出陣世代からみれば
日本の天皇の歴史と現在の地位もわきまえないトンデモ論である。
こういう人にエマニュエル・レヴィナスが読めるとは到底思えないのである。