カラヤン生誕100年

カラヤンの功罪とは何か。功は音楽を大衆化しクラシック音楽を特権階級から開放したこと。罪は音楽の外面的なショービジネスとしたこと。後者の証明は彼がかかわった映像作品をみればすぐわかる。なぜ、このような醜悪な映像を残したのか。権力欲と金銭欲と自己顕示欲のアマルガム。これらに取り付かれたものには自分が見えなくなるのか。「そんな馬鹿なことはやめたらどうだ」といってもらえる友人もいなかったのか。それでもカラヤンの意思があまり反映していない晩年のいくつかの映像作品には、その音楽的な才能が、恐らくはカラヤン本人の意図を超えて表現されていることがある。深夜に一人聞いているとゾクリとするような鋭さ。まさに芸術というものの魔的な魅力と謎。これからでもカラヤンとともにいつまでも論じられるテーマ。カラヤンを最高のところで捕らえるべきなのか、最低のところでとらえるべきなのか。(作り出した芸術も政治的行動も、そして人間そのものも)同じ人間の内部で起こっている事の不思議。ホロコースト収容所でバッハを演奏するナチス将校。(スピルバーグシンドラー」ではバルチータを演奏するのが描かれていた)
カラヤンベスト(ワーストはいくらでも)
<CD>
ブルックナー7番、ウィーンフィル
・Rシュトラウス 薔薇の騎士 ウィーフィル(新しい方)
マーラー 弟9 ベルリンフィル(ライブ)
<DVD>
ベートーヴェン 第9 ベルリンフィル 1977
ワーグナー 愛と死 J. ノーマン ウィーンフィル
チャイコフスキー 新世界 ウィーンフィル

ところで、20日昼にベルリンのフィルハーモニーでぼやがあったらしい。FNNのTVニュースでその日の午後にリハーサル予定があったアッバドが「大変なことになったね」といっていたが・・・・火事はカラヤンの呪いか?