村上陽一郎と原発

時ならぬ村上陽一郎批判がネット上で巻き起こっている。これらは古代ギリシャの学問の西洋中世での影響や氏のカトリック理解であったりして、教わることが多い。猫猫先生と異なり、ダメ学生だった私は村上先生の授業に出たことはなかったが、時々ラジオのクラシック番組の解説でお聞きするソフトな声のファンではあった。
 現在の私が関心のあるのは「安全学」を主唱し始めた彼の立ち位置である。政府の総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会の部会長に就任した際にどうなるのか、注目していたが、原子力発電所のリスクについてどのように「科学的」に説明されたが興味深かったが、その言説には説得されなかった。記録が残っているが、これ自体が学問の限界を示しているのではないだろうか。新聞紙上で、日本で現在の程度の原発は必要だ、との発言をみたことがあるが、私見では原発リスク管理の最適性は技術的にも経済的にも証明が難しいと思うが、ぜひ先生にはこのテーマでの研究発表をお願いしたい。安全学は結構なのだが、反原発派を納得させるだけの原発リスクについての著作はまだない。このテーマを避ける安全学はいかさまですよ。
www.meti.go.jp/kohosys/press/0003590
www.meti.go.jp/committee/downloadfiles/g30314a70j.pdf
次のような批判もあることがわかった。
www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/huzinaga.html