人は一生の間に何冊の本を買えるか?

 学生時代に1年間に何冊くらい読めるのか、1日1冊で365冊とすれば生涯このペースでいっても2万冊程度か、とがっかりしたものだ。
今日の日経のコラムに東京電力の元社長平岩外四の蔵書42,000点が公開されるという記事が出ていた。漱石全集が8セットもあるというのもよくわからないが、これだけ集めてどれほど読み込んだのだろうか。読書家とされているようだが、それに応じたアウトプットがないと物への執着が感じられるだけだ。電力会社社長なんてこの間の原発不祥事の際に謝罪会見をしていた連中の顔つきを見て、家人が驚いていたが、どうなっているんだろう。
確か谷沢永一の蔵書は2万冊という話を聞いたことがあるが、こちらはそれなりにアウトプットがあるし、それなりの物が集まって2万冊になっていたはずだ。電力会社社長であれば42,000冊×1,000円=4,200万円くらいの財力はあっただろうが、何故虚しさを感じるのだろう。やはり、この蔵書量を背景とした著書がないことではないだろうか。
 明治大学駿河台の図書館に収められた林辰夫の蔵書目録をみてがっかりしたことがある。おそらくは死後に蔵書が散逸した後で目録をつくったのだろう。西洋派の林達夫にしては洋書が少ないし、和書も特徴の無いつまらないものばかり。林達夫著作集の背景にある読書量を証明する蔵書とは到底思えないのが残念だった。
 植草甚一さんも死ぬ前には毎日の習慣として何冊か本を買っていた。ニューヨークで買った本のリストの一部は公表されているが、その蔵書目録は誰かに作ってもらいたかった。タモリのところへ移ったLPレコードと異なり、もう蔵書は散逸してリストはつくれないのだろう。生誕百周年で晶文社から記念本が出たが、この企画をやってもらいたかった。