学問とは何か。

 アカハラの指摘がまたまた世間をにぎわしているようで。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/
猫猫先生「安藤英正という成蹊大の教授」は「安藤英治」です。
アメリカでの例もひとつ
 ローレンス・サマーズがオバマ政権の国家経済会議委員長に就任し、バナーンキの後任となる話もあるようたが、
ミヨシマサオ「抵抗の場へ」に次のエピソード紹介がある。(P325)
「十年から十五年前、ハーバード大学の元総長であるロレンス・サマーズがワールドバンクの主任研究員だった時に、
 研究員の一人だったハーマン・デイリーが総費用、価格の変更について何か提案しました。するとサマーズは、
 経済学はそうしたものを扱うべきでないといってその案を却下した。さらにデイリーがBeyond Growthというう本を
 出版しようとした時、サマーズはMIT出版の編集委員でした。その本は、社外顧問によって承認され、編集委員会
 かけられたのですが、そこにいたサマーズが退けたのです。だからそれはMIT出版からは出版されず、ビーコン
 プレスから出版されました。ここアメリカではこんなことも起こるのです。」

 サマーズのハーバード大学長時代の女性差別発言、黒人教授への弾圧に端を発した辞任劇も記憶に新しいが、経済政策は
きっちりお願いしたい。
http://www.boston.com/news/local/articles/2005/01/17/summers_remarks_on_women_draw_fire/
 ちなみにこのミヨシ著には感動的な話も多いのだが、ミヨシがニューヨーク大学の博士課程在籍中に、将来英文学の教師に
なりたがっていることを知った教授が、ミヨシの英語の発音の悪さを矯正するためにテープレコーダーを使って個人教授して
くれたという話がある。異国で外人にこれくらい面倒をみてもらうと本当に泣けただろなと思う。
また、逆にカリフォルニア大学バークレー東洋言語学科で、今プリンストン大学教授をやっている人が大学院生時代に
教授に睨まれ、追放されそうになったのをミヨシが救った話もある。

■コレージュ・ドゥ・フランスで講義していたフーコーが学問ではない?
それを言い出せば、ブルデューだって学問ではないということにならないか。「戦う社会学」も
政治的アジビラのように思えるが。
 田中純の著書だって小林康夫の著書だって、そんなのみんな感想文じゃないの。彼らの書くものと
吉田秀和の音楽論議とどこが違うのか。何も大向こうに向かってエッセーを書くなといっているのでは
ないが。
 中沢新一はオカルトというのが定説となりつつあるのでは。しかし、ちゃんと批判する人が出てこないのは
不思議だな。折原浩の羽入批判の呼びかけに応答しなかった山之内靖のように、まともな学者はそんなことやっている暇はない、
ということなのだろう。
■すごい
http://www007.upp.so-net.ne.jp/minnanoie/hanagoyomi17.html
しかし猫猫先生が紹介しているこの林道義の娘というのは相当キモイな。こういう感性の女性と同居できる田中純というのも
すごい。普通は女房がおかしなことをいっていればやめさせるだろうが。学者世界は麻生太郎風にいえば「常識がない」ということか。

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すみません。フランス翰林院と間違えてしまいました。ご指摘ありがとうございます。
http://www.college-de-france.fr/default/EN/all/college/index.htm
中沢新一批判については過去にそのチベット仏教理解に対する批判として山口瑞法さんが雑誌に書いておられましたが、最近ぞくぞくと
出る中沢本の書評でも「本当かいな」と思わせるものばかりではないでしょうか。島田裕己氏のはオウム真理教がらみであったかと。