上野千鶴子「非モテ」のミソジニー

紀伊国屋書店のPR雑誌「スクリプタ」はそのたたずまいやPR雑誌らしからぬところを好ましく
思っているのだが、その夏号で上野千鶴子先生が「性的弱者」について論じておられる。
非モテ系」という語が頻出し、参考文献に[帰ってきたもてない男]も挙げられているくらいである
から、猫猫先生に相当絡むのでは期待したが、巧妙に直接対決を回避。でもご不満があるようで、
「たとえばわたしが宮台真司との対談で、性的弱者に対して「コミュニケーション・スキル」を磨け」
と発言するだけで、批判をあびた。」とか、「「全員結婚社会」が終焉した今日において、内田樹
小佐野敦のような男性論者が、「誰もが結婚できた(せざるを得なかった)時代」へのノスタルジー
語り、山田昌弘と白川桃子が「婚活時代」を唱えるのは、時代錯誤であろう。」とか、文中にあり。
猫猫先生はそんなノスタルジーを語っておったかいな。
 上野先生の学者としての語り口はおもしろいが、時々その学者としての適格性を疑う人がいるのは、
例えば次のような文章をさらりと書いてしまうところにあるのだろう。
「定型化されない対人関係の最たるものは友人関係であろう。利害や役割を伴わない、それから直接的
な利益を得ることが期待できない友人関係ほど、維持するに難しい関係はない。」
 上野先生、友達ってそんなもんと違いまっせ。