「書物の声 歴史の声」

平川祐祐著 弦書房
池袋ジュンク堂の人文社会学の新刊の棚には1冊しかなかったが、我が区立
図書館にあったので、借り出して一読。以下、読書メモ。
・「文学界における大江と政界における土井たか子は並行減少です。
 戦後平和主義のヒロインは護憲を唱え北朝鮮の肩まで持ったが、国会
 議長まで昇りつめた。片や大江は時流に敏感で、文化大革命となれば
 後衛兵,大学紛争となれば造反学生を持ち上げる。ノーベル賞まで昇り
 つめた。が日本の文化勲章の方は拒んだ。そんな良心的ポーズは信用ならない。
 大江は裸の王様の一人です。」p24
 →大江への批判は文学作品そのものはもちろんのこといくらでもあって、ご本人
 も良くご理解されているので、「裸の王様」ではないだろう。
川田順造柳田國男「清光館哀史」の真偽を問い直している。
 (「陸中、浜の月夜」)p48
  →清光館の話は国語教科書にものって有名らしい。
・「西洋で首相がキリスト教会へ行くのを憲法違反だなという非常識な裁判官
 はいない。それなのに日本で首相の神社参拝は違憲だといわんばかりの判事
 がいる。」p52
 →こういうことを書くところをみると、西洋も日本のことも良く知らない人
  のように思える。社会科学系の学者からはだから文学者はダメなんだ、と
  いう風に批判されるだろう。
・「自衛隊イラク派遣に際して隊員にこの書物をすすめる国際関係論の学者が
 いたが、その主張は正しいのか。」「新渡戸は外国人より侮りを受けたくない
 と気張って『武士道』を書いた。問題はその気張りのために無理をいっている
 のではないか、という点である。」p68
 →この国際関係論の学者とは誰だろうか。さすがに平川先生は『武士道』の
 問題点はわきまえておられる。
・カンドウ神父の日記に「原爆投下の報に接するや「アメリカ人は恐るべき道徳上
 の責任を歴史に対して背負い込んだ」p70
 →別の項目で、フランス作家が原爆投下について記載している、というのはこのことか。
・「東大教養学部報」72年に、鳥海靖、芳賀徹木村尚三郎、井上忠で、司馬遼太郎
 「坂の上の雲」座談会あり。「この企画は評判だったが、参加者が司馬史観に好意的
 だったことが唯物史観の教授には苦々しかったらしい。新左翼の菊地昌典助教授が
 「東大で『坂の上の雲』礼賛の座談会とは何事だ」といい、大岡昇平が「あなたが
 頭へくるのもわかる」などと『月刊エコノミスト』で対談した」p88
 →菊地・大岡対談をみていないので、なんともいえないが、少なくとも菊地は
 唯物史観ではないだろう。左翼憎しでこのようなことを書いてしまう例
・ フランクリンと福沢諭吉の自伝の比較論について「そんな両者の取り組みは
 あり得ないと頭から決めていたから、両者を同じ土俵にあげ本格的に比較論評
 する人もなかったのだ。現に頭は高いがお頭に問題のあるドイツのキルシュネライト
 は頭からこの比較論の可能性を否定している。」p95
 →キルシュネライト先生の論を読んでみたい。
・「戦後のサルトル流行も、フランスの猿真似で実際は取るにもとるにも足らぬことだった
 のではあるまいか」p103
 →このテーマでサルトル評価の論文を期待します。
・「2008年の5月祭には田母神空幕長の東大講演に900名の聴衆が集まった。そんな時代の
 変化にガードが弛んだのが一失で、田母神氏はその後、勇み足を踏んでしまった。」
 →東大の凡庸化を嘆くわりには、学力不足の将軍の講演に東大でそんなに集まったのを
 嘆かないというのも不思議である。 (途中)