9・11と広島・長崎

BSTBSのエミー賞をとった9:11当日のドキュメンタリーをやっているが、
アルカイダ?の犯人たちは明らかに広島・長崎をアメリカにも味あわせて
やろうと思っていたのではないか、と思った。

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「しかし、旧約学者の行う資料批判は、そこには入り込まない。入り込むための
方法論が確立していないからである。あくまでも文字となった資料の内部的関係を
探索するのであって、勝手な憶測の物語りはしないのである。どういうわけか、
女流学者は物語るのが好きである。そして、日本の出版界はそのような物語を衆愚に
提供して儲けておる。最近知ったことだが、Eliette Abecassis の『クムラン』が
和訳されたそうだ。彼女は高等師範出(フランスの高等師範は、文系の最も秀才が
行くところ、行けない者は大学に行く)の才媛で話はうまいのだが、学問とは何の
関わりもないお話である。
また、Barbara Thieringの『イエスのミステリー』が高尾利数という馬鹿によって
翻訳されていたことも知っている(なぜ、馬鹿かというと彼の馬鹿本を読んでいるから)。
彼女は確かに斯学によって学位を得た人だ。だから、少なくとも専門家であることに
変わりはないが、一種の気違い女だね。こんなことで有名になった彼女よりも無名の
私のほうがまともだよ」
 この『クムラン』と『イエスのミステリー』は松岡正剛先生が推薦しておられる。
こんなに批判が多いのに。素人の本読みの悲しさ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0174.html
この『イエスのミステリー』が出た翌年の雑誌「みすず」の読書アンケートにこの
本を興奮気味にあげていた人が何人かいたのに驚いたものだが。
 聖書学なんて素人がうかうか入り込むと恥をかくといういい例か。こういう書物が
なぜだめなのか、専門家はわかりやすく説明する責任がありますね。