原文と比較してみた

猫猫先生の平川先生の論に対する不満。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/searchdiary?word=%CA%BF%C0%EE

「だが、その対談をまとめた『<座談>書物への愛』(藤原書店、二〇一一)では、
私に関する部分は丸ごと削除されている。これでも、何も知らなかったというのか。
異論に不寛容で、黙殺を決め込むお方が、自分の場合は黙殺するなと言うのだから、
日本一の大ダヌキとでも言うほかない。誰か、この文章を見た粕谷の友達がいたら
「君の悪口が書いてあるよ」と見せてやってもらいたい。」

雑誌①と出版された②との間の「小谷野敦」関係の齟齬を調べてみた。
だが上にあるように「丸ごと削除」されていない。

①環 【歴史・環境・文明】2009年秋 39
②<座談>書物への愛 粕谷一希 藤原書店 2011年11月
1.
①そのときは僕を仲人に頼んでいるくせに、そういうことは一切書いていない。(p368)
②そのときは僕を仲人に頼んでいるくせに、いやはや勝手なことを書く。(p156)
2.
①要は、「天皇崇拝」だとか、「神道」だとか、「右翼」だというのは、殺し文句として
非常に有効なんですね。そういうことを分かって使っている。(P368 )
②要は、「天皇崇拝」だとか、「神道」だとか、「右翼」だというのは、殺し文句として
非常に有効なんですね。そういうことを分かって使っているのだろうか。(P156)
3.
ウェイリーも、チェンバレンのことをこれだけ否定的に書いている、ということを
新たに示しても、それでもまだ「チェンバレンチェンバレン」と持ち上げているのが
小谷野敦。よく読みもせず、私に絡んできて・・・・。(p376)
②同(p172)