亀山郁夫問題

亀山郁夫ドストエフスキー翻訳およびドストエフスキー作品解釈について
論議されていることを知った。これらを読む限り米川正夫訳以来の問題
を抱えているような印象を受ける。

亀山郁夫訳『悪霊』に対するいくつかの批判を読んで 横板に雨垂れ
http://yokoita.blog58.fc2.com/blog-entry-209.html
木下豊房
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost125.htm

亀山郁夫訳『悪霊』Ⅱ「スタヴローギンの告白」における重大な誤訳
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost136b.htm

亀山郁夫訳『悪霊1』アマゾン・レビュー原稿
新訳の読みにくさ・文脈の誤読 ―ドストエフスキー・ファンの願い―
森井友人
http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost137.htm

光文社古典新訳文庫についてのフォーラム
http://8913.teacup.com/naknaktono/bbs

さらには、
http://www.geocities.jp/info_sjes/newpage3.html
 スタンダール研究会会報18の14Pからの下川茂氏の「赤と黒

亀山訳ドストエフスキーについてもその「趙訳」ぶりが批判の対象に
なっていることは知っていたが、これほどとは思わなかった。
大阪府立大学の萩原俊治氏が亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」訳を
めぐっての論争で匿名氏とのやりとり
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/20100522/1274489821

最初の萩原氏のブログの中で、萩は鷲が中村健之介『永遠のドストエフスキー
中公新書)が自閉症への偏見に基づいて書かれており、絶版にすべき
としていることを知った。
また、翻訳論で森有正と比較して須賀敦子の文章を評した文。最初の頃の
須賀さんの文章が悪いという意見は初めて聞いた。
「イタリアから帰ってきてかなり時間がたったあとでも、須賀敦子
日本語は稚拙きわまりないものであったからだ。たとえば、女流文学賞
輝いた『ミラノ 霧の風景』の日本語さえきわめて質の悪いものだ。
このような日本語を書く人が、たとえば、川端康成の「山の音」などを
正確にイタリア語に訳せるものだろうか。私は不思議に思う。また、
そのような言語感覚しかもてない人がイタリア語が分かるようになったと
言っても信用できるものだろうか。私は信用できない。彼女の日本語が
何とか読むに耐えるものになってくるのは『ユルスナールの靴』以降だ。」
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/searchdiary?word=%2A%5B%B9%BE%C0%EE%C2%EE%C8%E3%C8%BD%5D