日本語的英語の価値

 賭博人生をおくる在外知識人である森巣博の英語を次のように評した
した人がいる。

ある時、妻を尋ねてきた岩波書店の偉い編集者に、「森巣さんの英語は
まるで日本語をしゃべっているみたいだね。」と指摘されたことがあった。
褒められた、と私は解釈している。その編集者は、日本からの来訪者としては
驚くほど質の高い正当な英語を話した。わたしの英語は上品なそれでない。
しかし、おそらくどんな状態(たとえばラジオの討論番組の出演や意地悪な
国税調査官との対応)にも長時間耐えてきた、確実に意思疎通できる、しぶとくて
しつこい英語である。越境者的ニッポン 森巣博 講談社現代新書 p34

 森巣氏の配偶者はテッサ・モーリス・スズキであって、森巣によれば、英国の
キャリア外務官僚の末娘だそうで、「フランスに行けばフランス語で、ドイツへ
行けばドイツ語で、オランダに行けばオランダ語で、ロシアに行けばロシア語で、
そして日本に招待されたら日本語で講演する。質疑応答も、すべて現地語だ。」
そうであるような人なので、ちょっと特異な環境かと思われるが、それでも
日本語なまりの英語だといわれて別になんともおもっておらず、むしろ肯定的で
さえある。
 しかしながら、同様のケースでそうでない受け取り方をする人がいることを
最近知って驚いた。小田実である。
大阪のホテルニューオータニで米谷ふみ子と小田が対談をし、その後で
編集者と一緒に上のラウンジで飲み物を飲んでいた時に、編集者が
「小田さんの英語は大阪弁の英語ですなあ」と言い、編集者は
冗談のつもりだったらしいが、その時小田は「直ちに目を吊り上げて、
ラウンジ中が震えるほどのの大声を出し「何やと!英語も喋れんくせに
馬鹿にするなあ!」と怒り出したのだ」「この声!私は震え上がった。
ラウンジが空っぽだったのが幸いだった。彼が編集者を殴りつけないかと
心配になった。私の隣に座ってる編集者の体が硬直するのが皮膚で
感じられた。小田さんはそれから「米谷さんも僕も異民族と結婚していて
大変な苦労しているんやぞう。君にはわからんやろが!」と怒鳴っている」
(米谷ふみ子 「世界の英雄、近所の洟垂れ小僧」(われわれの小田実
 米谷自身がこの編集者に対し「私の英語は大阪弁の英語で小田さんのもそうだと
言ったことがある。つまり、大阪人というものは発音とか文法とかを考慮
せずに相手にこれでもなんとか分からせようとする。アクセントは大阪弁
アクセントと言ったのだが」といったように書いているから、その流れで
この編集者はむしろ肯定的な意味で小田の英語のことを語ったのだと
思われる。
 小田のNHK追悼番組で、米国でアーミテージに小田がインタビューするという、
今思えばとんでもないシーンがあったが、その発言内容も英語のアクセントも
まさに小田実そのものとしかいいようのないものであって、先の米谷の発言
が正しいといわざるをえないものであった。
 米国人に米国語で対峙せず、それでも相手を説得してしまうのが小田実流だ、
という風に思うのだが、この大阪のエピソードからはあの小田実でさえ、英語で
傷ついていたのだ、ということがわかる。