マタイ受難曲の録音

「ピリオド演奏を標榜する一部の人たちは、このメンゲルベルグ
演奏を酷評し、それだけでは飽きたらず、この演奏を聞いて感動する
多くの人々を冷笑しています。(例えば、某国立<くにたち>音大の
バッハ研究者〜と自分で思っている人;ちなみに柳田氏はこの人物を
磯山雅と実名をあげていますが・・・))
 柳田氏の一文は、このようなイデオロギーによって押し進めら
れているピリオド演奏という潮流が、いかに音楽の本質から外れた
ものかを鋭くついています。  「かけがえのない日々」
「犠牲(サクリファイス)」などなど・・。興味があれば一読をおすすめします。 」
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=19

 ここでいわれている柳田氏というのはノンフィクション作家の柳田
邦男。柳田氏はメンゲルベルクマタイ受難曲をどう評価し、礒山雅に
どうして批判めいたことをいったのか、読んでみたくなる。
 柳田「かけがえのない日々」(新潮社文庫97年)の中の「「人生の
一枚のレコード」と題されたエッセイで、自宅の近くのレコード屋
たまたま手に入れたメンゲンベルク指揮のLPに聞きほれ、自殺した次男も
心の友としていたことが語られている。(90年6月)そして、追記として、
上のブログ氏が書いているように磯山氏が自著「マタイ受難曲」(東京書籍)
で、メンゲンブルク指揮の演奏について批判めいたことを書いていることを
自分の人生で切実な意味を持っている録音について柳田氏は次のように書く。
「どうやら楽譜を読みこなす力のない私や息子は、マタイ受難曲を聞くには
失格らしいのだが、音楽とは人生の状況のなかでの魂の響き合いではないか
と考えている私は、「それでもメンゲンベルク指揮のあの演奏は私の魂を
ゆさぶる」という感覚を抱いている。」
 磯山のこの演奏に対する批判は、「バッハの基本からはずれていて、とくに
テンポの伸び縮みがあまりにも恣意的」で「聞いていて途方に暮れ」
「うんざりする」「この演奏に感動して涙する若い聞き手がいると聞くのだが、
そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである。」
ということらしい。この演奏が大時代的なもので、バッハ解釈としては
いかがなものか、という評価は、定着しているだろうが、一方では
第二次世界大戦前の状況下での演奏ということは別にしてもメンゲンベルク
以下演奏者が渾身の演奏を行っているまさに時代を記録したライブであり、
録音の質の悪さを超えて胸をうつ、というのも一般的評価だろう。なぜ、
磯山氏がここまで悪口をいうのか、不思議であるが、感性より学者としての
頭が先に出てしまったのか。
 それはそれとして不思議なのは、柳田氏の方である。このメンゲンベルク盤
以外に聴いたことあるこの曲の録音はカラヤンだけのようで、「数年後、
カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるマタイ受難曲
全曲演奏のステレオ盤を買ったけど、心をゆさぶられたという点では、
メンゲンベルク指揮のほうがはるかに重みを持っている。」と同じエッセイ
内で書いている。「年増の厚化粧」(皆川達夫)のカラヤンと比較すると
いうのもなんだが、それほど感動したのであれば何故定番のリヒターの
録音に触れなかったのか、謎であり、この本の中では安永徹リサイタルの
パンフへ寄稿するくらい音楽に詳しいようであるから、さらに謎は深まる
のである。
柳田氏の次男が自殺し、その経緯を記した「犠牲 わが息子・脳死
11日」でのマタイの記載内容はこのブログにある。この著書でも
メンゲンベルクとカラヤンの録音しか、出てこないようである。
http://follia.at.webry.info/200704/article_4.html