五木寛之夫人のこと

ウィキには以下の記述あり。
早稲田大学抹籍以降、文筆家(小説家・放送作家)、作詞家など、様々な職業で幅広く活動する。
1965年には、石川県選出の衆議院議員(のち金沢市長)岡良一の娘・玲子と結婚、夫人の親類の
五木家に跡継ぎがなかったからか五木姓を名乗る。日本での仕事を片付けて、かねてから憧れの地で
あったソビエト連邦や北欧を旅する。帰国後は夫人の郷里・金沢に身を寄せる。」
 五木寛之夫人の玲子さんは精神科医なのだが、どこでなれそめがあったのか、これまで五木寛之
自ら語ったことは無いと思う。五木が東京の生活から足を洗って婦人の故郷の精神病院で看護士でも
やろうか、と思って金沢へ行ったことはこれまでも彼のエセーで語られているが、その婦人とどこで
出会い、どのような恋愛関係があったか、五木は一度も語ったことはないのではないか。これほど
多作で有名な作家の奥様としては、その実像が
わからないとうことも謎である。