田中耕太郎長官に対する嫌悪と悪意

本日のタイトルは中村稔「私の昭和史 戦後編下」(青土社)からである。同書でチャタレー事件最高裁判決を起草した田中耕太郎長官について、
中村はその判決文が「芸術至上主義を否定するといいながら、じつは法至上主義を高らかにうたいあげているものであり、その法の適用は裁判官に
委ねられているという立場に立つ裁判官特権至上主義の宣言というべき判旨である。」と批判し、「同判決に関する限り、批判的であり、一種の
嫌悪感」をもっている。」と書いている。
 中村が最も当時憤りを感じた部分は以下のとおり。
「かりに一歩譲って相当多数の国民層の倫理感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な
人間の観念である社会通念の規範に従って、社会を道徳的退廃から守らなければいけない。けだし、法と裁判とは社会的現実を必ずしも肯定するもの
ではなく、病弊堕落に対して批判的態度をもって臨み、臨床医的役割を演じなければいけないのである。」
 私が仮に田中に今いうべきことがあるとすると「何様だとおもっているんだ、たまには熊さん八っつあんに社会通念を聞いてみな」というだけではあるまいか。
 また、中村は「かつて「世界法の理論」を読んで、そのひろい視野と理想主義に感銘をうけたことがある。また本稿の第七章に一高晩餐会における
志賀義雄の演説にふれ、獄中の志賀を田中耕太郎夫妻が見舞っていたと披露したことを記し、続いて壇上に立った田中耕太郎が、歴史上、己が
信念に殉じた人は少なくないと思うが、また一面盲目的ないわゆる信念がどれほと人を誤らせたか一考に価する、と語ったことを記した。田中
耕太郎は非妥協的、剛直で、自らの信条に忠実であったが、一筋縄ではいかない、やはり、大法律家であった、と私は考えている。かつて私は、」田中耕太郎について「敬意と嫌悪がいりまじったさまざまな思い」をもっていると記したが、いわば、私が田中耕太郎に抱いている思いとは、チャタレー事件最高裁判決の起案者であることを含めた、その業績に対する右のような信条なのである」としている。
中村は「憲法改正、皇室敬慕、反東京裁判史観などを掲げ」る日本会議の会長である三好達最高裁元長官に対して、「最高裁の長官が
憲法を目指す組織に共感を覚えていたという事実は、私にとって衝撃的であったが、そのことをインターネット等で公言してはばからぬ
事実こそもっと衝撃的かもしれない。」と書いている。
 
  
中村稔は「ポルノグラフィーの頒布がほとんど完全に自由化されているように見える今から、チャタレー裁判最高裁をふりかえると」と
書いているが、いつ「ほとんど完全に自由化され」たのだろうか。
田中耕太郎については、もっと戦後思想史の中でその業績を検証する必要があると思うが、彼のような戦後思想史に重要な影響を与えた
学者・実務家について論じる批評家や学者は残念ながら少ない。丸山真男についての論及の多さに比べると不思議なくらいである。
先日のNHKの番組で砂川事件の判決前に、田中がアメリカの大使と面接している事実を伝えているものがあった。

三谷太一郎「二つの戦後」(筑摩書房)に田中耕太郎論があったが、今手元にない。